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東京高等裁判所 昭和26年(う)4660号 判決 1952年1月18日

控訴人 被告人 篠塚県治及び原審弁護人

吉村節也 上田誠吉

検察官 田辺緑朗関与

主文

本件控訴はこれを棄却する。

当審における未決勾留日数中九十日を本刑に算入する。

理由

弁護人吉村節也、同上田誠吉の控訴趣意並びに被告人の控訴趣意は、同人等提出の各控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

弁護人の控訴趣意総論第三点(事実誤認)について

原審挙示の証拠によれば「平和のこえ」がアカハタの後継紙たることを認め得るのであつて、さればこそ昭和二六年一月二三日法務総裁名義をもつて、日本共産党機関紙「アカハタ」の後継紙として「平和のこえ」編輯印刷発行人浅野譲夫に対し、発行停止命令を伝達執行したもの(記録編綴の法務府特別審査局長名義の「平和のこえ」発行停止に関する証明書の記載)であつて、「平和のこえ」を右「アカハタ」の後継紙と認定した判決には所論のような審理不尽または事実誤認はないから、論旨は理由がない。

また「アカハタ」の後継紙たるには日本共産党の機関紙であることは必しも不可欠の要件ではなく、論説、記事、その主義主張の内容が「アカハタ」と同一傾向を有することと、その編輯者、発行者、発行所、配布網その他の情況とを綜合して認め得るものと解すべく、本件において押収されている「平和のこえ」「アカハタ」その他の押収品竝びに本件記録に現れた全証拠を綜合すると「平和のこえ」は「アカハタ」の後継紙たる要件を備えたものと認め得るから、この点の論旨も採用することはできない。

同第四点(法令適用の誤)について

「平和のこえ」発行停止の根拠となつた最高司令官の前記指令は虚偽、煽動的、破壊的な共産主義者の宣伝の播布を阻止する目的をもつてなされたものであることが明かであるから右新聞の編集、印刷、出版、運搬、頒布、その他右宣伝の播布の為にする一切の行為を包含するものと解せられるから、原判決が、被告人の右「平和のこえ」の頒布行為をもつて、指令に所謂発行々為と解し、右所為をもつて前記指令の趣旨に違反したものと認めたのは相当であつて、所論のような違法はなく、論旨は失当である。

第五点(憲法違反)について

日本国憲法第二十一条は言論出版の自由を保障しているが、もとより個人が社会国家の構成員である以上、その自由と雖絶対無制限に許されるものでないことは当然であつて、さればこそ憲法第十二条は、この憲法が国民に保障する自由及び権利はこれを濫用してはならない。また常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負うことを規定しているのである。殊に日本の占領と管理の施行の為に立てられた政策を実行する為の一切の権力を有する最高司令官の指令の誠実な実施履行は日本国政府及び日本国民の義務とされている占領下において、而して本件「平和のこえ」は連合国最高司令官の指令により、「アカハタ」及びその後継紙竝びに同類紙が、虚偽、煽動的、破壊的な宣伝をして人心を撹乱し公共の安寧と福祉とを侵害することを目的として言論の自由を濫用し、平和的民主的社会では黙視できないものとして、その発行停止の措置を要求されたものであつて、このような公共の福祉からする禁止制限は憲法第二十一条の規定の精神を侵すものということはできない。論旨は採用することはできない。

同各論第三点の(一)について

原判決が証拠に引用した各写真に顕出されてある文書の存在については、各写真につきなされた検察官乃至は検察事務官の認証又は証明文によつてこれを確認できるし、又右文書の内容については朗読の手続が履践されていることは、原審第一乃至第三回公判調書の記載を通覧すると明白であつて、原審が右文書の写真をその存在と意義内容が証拠となる証拠物として取調べたことは必しも違法ではなく、本件と同性質の事件が全国各地において審理されていることが記録及び証拠物によつて窺はれる本件のような場合に、その原本を一々各事件に提出することが極めて困難である場合には右のような証拠調の方法は許されるものと解すべく従つて論旨は理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 谷中薫 判事 中村匡三 判事 真野英一)

弁護人の控訴趣意

総論第三、「平和のこえ」はアカハタの後継紙ではない。然るにこれをアカハタの後継紙と認定した原判決は明白な事実の誤認を犯すものであり、右事実が本件公訴の成否を決する基礎的事実であることよりして右誤認が判決に影響を及ぼすものであることは論をまたない。

(一)、検察官の主張によれば後継紙たるの基本的要件は「論説、記事、主義、主張の内容がアカハタと同一傾向を有するもの」というにある。

従つて後継紙たることの立証の為には、具体的に特定の「平和のこえ」の記事内容が特定のアカハタのそれらと同一傾向をもつ事実を明かにしなければならない。かつ同一傾向とは前記マ書簡にいう「虚偽、煽動的、破壊的」傾向を同じくするものであるからこの点をも同時に立証しなければならない。これは恐らく精密にして尨大なる証拠の取調を必要とするであらう。而るに原判決は単に「平和のこえ」六部「アカハタ」一五四部を証拠として取調べたのみで、どの記事の内容が真実に反することにおいてアカハタと同一であるかということについては、立証責任をもつべき検察官は何等主張も立証も為しておらず、原審も亦この点につき何ら証拠調をしていない。検察官はこのもつとも重要な事実につき全く立証していないばかりか立証する意図さえみせなかつた。これは全く裁判所の予断を期待する立証の手抜きというべきであり、原審は亦予断をもつて審理をつくさず、この点において審理不尽の法令違背の非難を免れ得ないと同時に、アカハタの後継紙たり得ない「平和のこえ」を後継紙と認定する誤りを犯しているものである。

(二)、「平和のこえ」は日本共産党機関紙ではない。

アカハタが日本共産党機関紙であることをその新聞の本質としていた以上その後継紙もまた日本共産党の機関紙でなければならないにもかかわらず、検察官は後継紙たることの要件にこれを加えず、原審もまたこの点につき何ら審理をしないのみか、機関紙であり得ない「平和のこえ」をアカハタの後継紙と認定する事実の歪曲をなしている。

日本共産党機関紙とは党の機関の責任において編集発行され、党の諸決議、諸決定、報告を何らの修飾なしに掲載し、これによつて全党を政策的、組織的に指導する使命をもつ、そして日本共産党はいかなる時と所とにおいてもこの原則を抂げたことはない。而るに「平和のこえ」が党機関の責任において編集発行された事実なく、更に党の諸決議等を第一義的に掲載していた事実もない。特に全党を理論的、組織的に指導するという機関紙の本質的任務とは全く無縁である。よつて「平和のこえ」は日本共産党機関紙ではなく、従つてアカハタの後継紙でもあり得ない。

(三)、前述のように検察官は後継紙たるの基本的要件の立証を回避し、次の諸点を強調立証せんとすることにより裁判所に後継紙たるの心証を与えようとした。

(イ)、アカハタ停刊後、新文化、民主日本、自由、平和の友、平和のこえ等が続いて停刊された事実

(ロ)、平和のこえがアカハタと同一配布網により全国的に配布されていた事実

(ハ)、日本共産党が平和のこえを重視していた事実

右(イ)はこれら諸新聞が後継紙たることを立証するつもりもなく、たゞ時間的前後の関係で発行停止されたことのみをもつて、平和のこえがこれらと同様に後継紙たることを印象づけようとした点で全く不当であるばかりでなく、無益な徒労にすぎない。(ロ)について検察官は全国的配布網がアカハタのそれを同一であつたことを主張するのみで何らの証拠も提出しなかつた。(ハ)「平和のこえ」紙が文字通り全国津々浦々に平和のこえをひびきわたらせ日本人民の平和を求める熱望にこたえる新聞であつた限り、共産党がこれを重視し或は支持するのは全く当然のことであつて、このことは平和のこえを後継紙であるか否かについては全く無縁である。

第四、頒布行為は発行々為ではない。然るに頒布行為を発行々為と強弁して罰しようとする原判決は法律の存在を無意味ならしめるほどの政治的拡張解釈をもつて、法律なくして刑罰を課する人権蹂躪を敢て犯している。原判決はこの限りにおいて、明かに憲法第三十一条をふみにぢる違法があり破棄さるべきものである。

(一)、検察官が発行々為を、一般人に普及する為にする一切の行為をいい、編集、印刷、出版、運搬、所持、頒布等の個々の行為をふくむと主張することは、政治的な無制限的拡張解釈に他ならない。頒布をも発行となすは末端の頒布者を処罰して日本共産党の組織を破壊せんとする政治的悪意に出た弾圧である。原判決がかゝる検察官の政治的主張に追随し、無制限な拡張解釈によつて、法律の存在を無意義に帰したことは、憲法と法律の下にのみ独立して職務をなすべき司法権の独立を自ら放棄し、法律なくして刑罰を科するところの政治的弾圧をこととするものと云はなければならない。

(二)、検察官の主張する「発行々為」の特別概念をうのみにした原判決は従来の英、米、日本の社会的な用語例、法律的な概念、判例、定説その他一切の慣行を無視した暴論である。

(三)、原判決の容認した右解釈は、特審局当局者が全く秘密裡に決定し、国民に周知させる方法をとらないばかりかむしろこれを秘匿して、「平和のこえ」事件を契機に全国的に適用し七百名にのぼる大検挙を行つた。これは人民を欺き、人民をわなに陥入れるものである。この限度において全く罪刑法定主義の最低線をも蹂躪する不当な法律論である。そしてこのような政治的意図に組した原判決は原審裁判官が自ら裁判官たることを放棄して、政治権力の召使に堕落したことを示すものと云はなければならない。

第五、原判決は言論、出版の自由に対する脅迫的侵害を犯すものであり、憲法第二十一条を蹂躪する違法がある。

(一)、言論、出版の自由は民主々義の生命である。そして言論の自由は、反対者の言論を保障することを意味する。何故ならば、賛成者の言論は常に保障されているからである。

(二)、言論、出版の自由は如何なる権力をもつてしても犯し得ない絶対的自然権である。公共の福祉は言論の自由の保障の上にのみなり立つものであつて、言論の自由に対する制限概念ではあり得ない。これを制限概念と解するとき、公共の福祉は、常に一部少数権力者の「福祉」を陰蔽する美名であつて、フアシズムの法理論がその典型である。

(三)、「平和のこえ」紙はそれが平和のこえを叫んだ新聞であつたので権力者の反対紙であつた。この反対紙の言論を保障しないで何処に言論の自由があろうか。平和の時代に戦争反対を叫んでも、誰もこれを弾圧しようとはしない。戦争反対の言論が弾圧されるのはまさしく戦争の前夜以外にない。そして戦争前夜に戦争反対の言論を保障しなければ、言論の自由はもはや存在しないのである。

各論第三、原判決は証拠能力のない証拠を採証した違法がある。

一、原判決は共産党関係の指令、通達等の文書の写真の存在とその記載を採証しているのであるが、これは違法である。

まづ、これらは証拠物であつて、その物の存在自体が証拠となるのであるから、これを写真の形で証拠調をなし、かつ採証するは、その原物の形態、紙質、体裁からして、それが真に共産党関係の指令、通達等であるか否かについての心証をうるに由なく、又原物の存在自体極めて疑はしくこれが自明であるというを得ず、更にもし仮に原物の存在が自明であるとしても、原物を法廷に顕出するのが至難であることについて、何らの疏明もないのであるから、これらは写真の形では何ら証拠能力がないものと云はねばならない。これを採証したのは明かに判決に影響を及ぼす訴訟手続の法令違背である。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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